慶應義塾大学病院は、今年で開院102年を迎える。

慶應義塾の創設者である福沢諭吉は、青年時代、緒方洪庵の適塾に学んだこともあり、
医学に強い関心を持っていた。
福沢の没後、大正6年 慶應義塾創立60周年を記念して、医学部を設立することが決定。
同年、四谷区信濃町の陸軍用地を購入し、大学病院開院への準備が進む。
そして、初代医学部長・病院長となったのが、北里柴三郎である。
北里柴三郎は、ドイツで、ロベルト・コッホのもとで、細菌学を学び、
他国からの招きを断って帰国し、日本での伝染病研究に励んだが、
日本では、不遇の時を送っていた。
そんな北里に支援の手を差し伸べたのが、福沢諭吉だった。
北里柴三郎は福沢による長年の多大なる恩義に報いるため、
福沢の没後に誕生した慶應義塾の医学部の初代医学部長に就任し、
終生無給で同大学の発展に尽力したという。










Dr. Kitazato highly respected Yukichi Fukuawa who established Keio University in 1858.