江戸時代、このあたりは、茅野(かやの)だった
茅(かや) ?
要は、ススキ ですか?
でも、イコールではないようですね。
そこを開墾?開拓?したのが、
「諏訪左門」さんという人だった
「左門町」の由来は そんな感じらしいです。
それにしても、このあたり一面が原っぱだったとは
今の人の賑わいからは、
とても想像するのは難しい
「むさしの(武蔵野)のすすき(芒)のごとく」
ある先哲は、
元気で、活力のある人々が、陸続と集い来る様子を
ススキに譬えられています。
「働く人」の街
「和を愛する人」の街
「テレビでよく見かける人」の街
「人々を守る人」の街
すばらしい、「活力」の街です。
あ、ちなみに、
左門公園の年末のライトアップ?
イルミネーション?
これ、感動です。
地元の人たちが、
本当に真心込めて、
皆を喜ばせたいと
丁寧にやってくださっているのが、
本当に伝わってくる。
写真が手元になかったので、
用意できたら追加します。




